七色に変化するカメレオンのように、ブログで様々な色を出していこうという意気込みでブログを続けるカメレオンブロガー2754です。
もう10年以上も前になってしまうのですが、
実は私、20代の頃は映画が大好きで、映画館、レンタル含め毎日のように映画を観ては
SNSで映画日記をアップするというような作業を繰り返していました。
コロナウイルスの感染拡大により大都市圏を中心に自粛要請も出ておりますし、
こういう機に映画を・・という情熱を蘇らせようと考えました。
そんなわけでものすごい数のストックがあるので比較的短くまとまった日記を多少の文章校正等を施し、
まとめてブログにしようと思います。
こういうの記録に残して見返すのも面白いですね。。。
今回は2000年より前に公開された邦画の作品を集めています。
それほどネタバレしていないので面白そう!と思ったら観てほしいです。
(当時、TSUTAYAの回し者と言われてましたw)
PERFECT BLUE
1998年2月28日公開 監督:今敏
浸食されてしまった。
制御不能に陥ってしまった。
降り注ぐ雨。
木霊する悲鳴。
渦巻く悪意。
迫りくる恐怖。
アイドルから女優への転身-
悪夢のような日々の始まり。
ただ感じるしかできなかった。
理解しようとすると脳がシャッフルした。
もう一度、あなたに・・・
会いたい・・・
★★★
リング
1998年1月31日公開 監督:中田秀夫 キャスト:松嶋菜々子、真田広之
怖い!
すんげー怖かった!
しかも怖さをひきずってしまう。
こりゃ呪いだ。
この『リング』の圧倒的なパワーの前には同時上映の『らせん』は単なるおまけのようにしか思えない。
監督は知る人ぞ知る『女優霊』の中田秀夫。
原作はミステリーテイストが強いようだが、純粋に怖い映画を作ることに集中したかのようにワンシーンに賭ける意気込みがハンパない。
「呪いのビデオ」という現実に都市伝説として存在していそうな題材を女子高生たちが語っているのがたまらなくたリアル。
そして映像から全体的に感じられるノイズ感のようなものが心理的に恐怖を訴えかけてくる。
なんじゃこりゃ!?と最初は何気に観ていたビデオ映像にいつしか…
ヒィーーーッ!!!
歪む歪む。
写真のように歪む。
来る~♪きっと来る~♪
ザキヤマさん顔負けの「来る~」にはもうグゥの音も出ねーよ。
あの衝撃の名シーンについてはここではあえて語らない。
むしろその後の母の決断こそがこの恐怖の集約なのかもしれない。
★★★★
もののけ姫
1997年7月12日 監督:宮崎駿
宮崎駿最高傑作の呼び声も高い大作アニメーション。
これはまさに転機。
宮崎駿の視線が世界に広がった時、そこに見たのは日本の神々へのオマージュだったのではないだろうか。
そして『千と千尋の神隠し』は生まれた。
いや、その前に産み落とされたこの『もののけ姫』にはより巨大な、溢れんばかりの神のオーラを感じるのだ。
なぜ本作が一方で最高傑作と祭り上げられ、また一方では世紀の大駄作と罵られるのか。
それだけ影響力が大きすぎるのだ。
我々はアシタカとサンの関係に、対立する人と自然を共存へ向かわせる光を見たのだ。
時を同じくテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』もまた、一大ブームを巻き起こした。
そこでは共存をも超え、同化が求められていた。
しかしその膨大過ぎるテーマは最終回をまとめ切れず、その莫大な問題定義を押し付けられたファンからやはり賛否両論の集中砲火を受けた。
これは大傑作か大駄作か。
少なくとも私には『もののけ姫』のそれは『エヴァ』のそれに比べ肯定的に感じた。
映画にはどこかテーマがあり、そのテーマに対する問題定義がある。
そのテーマに共鳴するかしないかは個人差があるだろう。
しかしそのテーマの壮大さは大作か否かの測りにはなり得るのではないだろうか。
そして『もののけ姫』はその壮大なテーマに対して答えをはっきり示しているのだ。
だからこそ、宮崎駿はウケる。
エボシは悪として見るべきか?
そうでなければ悪とは何なのか?
もののけ姫は鬼神の如く!
アシタカ、あんたはかっこよすぎるよ。
★★★
幻の光
1995年12月9日 監督:是枝裕和 キャスト:江角マキコ、浅野忠信
この映画は光そのもの。
光は吸収され、開放される。
夫婦の関係が淡々と描かれていて、なんだか温かい。
ただテーマが見えない。
生死の境界?
死を前にした感情?
とにかくストーリーも人間描写も感じ取るしかない。
何気に流れる時間の中で生と死を訴えかけてくる。
僕の生きる活力は何だろう?
あまり高らかには言えないのだが、
自分の人生は自分の手で終わらせたい
なんて考えている僕がいる。
もしかしたら明日自殺してしまう可能性だってゼロではないのではないか?
悲しんでくれる人はいるだろう。
泣いてくれる人はいるだろう。
しかし僕にはこの世界が虚像ではないかと疑っていた少年時代がある。
僕は試されている。
他人のふりをして皆僕を見てる。
監視してる。
というより僕の思いや気持ち、行動、ふとした反応を見て皆で笑い話にしてる。
そんなことを考えていることももちろんつつぬけだ。
これは僕の幻の光。
ただ僕は思い出した。
あの頃の感覚を。
映画の力は偉大だ。
★★★
GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
1995年11月18日公開 監督:押井守
未来型アクションの完成形。
これはハマる。
気に入ってハマるというか、ハマらされて気に入る。
夢が現実ならどれだけ素晴らしいだろう。
理想が記憶に埋め込まれ、現実として認識されれば人間は幸せなのだろうか?
人形使い…
謎めきすぎてねーか?
すぐ裸体を曝す女…
実写化してくれー!!
と思ったら…
腕が弾け飛んだ。
えぐっ(>_<)
これ実写化はやめてくれー!!
「戦後の地球を支配するのは女だと思っている。」
これは機動戦士Zガンダムのパプティマス・シロッコの台詞で、
よく分からなくてもなぜかそこに思想の深さを感じさせられたもので。
時代は女を強くする。
いや、女を求めてる。
取り込んでるのか?
組み込んでるのか?
コピーでは個性や多様性が生じない。
この話、コンピュータと命が同化している。
ゴーストとは?
これが掴めなければ本質も…
ダメだ。素子が食い尽くされる。
それが理解の限界。
モニターが死んだ。
これ宿命?
「ネットは広大だわ」
彼女の口から発せられることでそれはとてつもない名言になってしまった。
★★★
午後の遺言状
1995年6月3日公開 監督:新藤兼人 キャスト:杉村春子、乙羽信子
生には限りがあり、死は無限。
道端に咲いている花を見ると綺麗に思う。
いつかは自分もこの美しい自然の一部に-
老いながらもどこかパワフル。
ピストルを向ける強盗に正面から担架を切る。
その情景がまた滑稽で滑稽で。
幸福に老いていくことなんて困難な時代かもしれない。
でもそこにただ枯れていく人生なんて…
僕はおばあちゃんに最大の敬意を払い、何かしら恩返しをしたい。
もし父や母が、無理心中を遂げるようなことがあったとしても、2人が笑顔であることを僕は願う。
死の影響力はすごいもので。
仲たがいしていた2人がいたとしても、身近な人間の死に遭遇することで、そこでは思いが共鳴し合うのだ。
死はただ哀しみを残すだけではない。
もう長くはないかもしれない残された人生を前向きに生きよう。
僕は願う。
死の影響力はすごいもので。
仲たがいしていた2人がいたとしても、身近な人間の死に遭遇することで、そこでは思いが共鳴し合うのだ。
死はただ哀しみを残すだけではない。
もう長くはないかもしれない残された人生を前向きに生きよう。
★★★
ソナチネ
1993年6月5日公開 監督:北野武 キャスト:ビートたけし、国舞亜矢
人の死は決して美しいものではない。
しかし死を恐れぬ者たちの死にはなぜか美学のようなものを感じてしまう。
そこにきてあの風景、あの音楽。
ヤクザを描きたがる映画監督は多い。
ヤクザの美学は筋が通ってるから魅力的なのだと思う。
だから殺すも死ぬも納得がいってしまう。
生と死の間に揺れる。
銃声の余韻は死の余韻…
狂気も静寂も、時に折り込まれるユーモアも全て、一発の銃弾に飲み込まれる。
まずヤクザを知れ。
そして命を知れ。
そして『ソナチネ』を観よ。
一度目より二度目、二度目より三度目。
観る度に膨張して押し寄せてくる重圧感。
この男を理解し知った時、氷の銃弾がおれの心を打ち抜いた。
★★★★
あの夏、いちばん静かな海
1991年10月19日公開 監督:北野武 キャスト:真木蔵人、大島弘子
映画ファンが求め続けた映画を、監督が本業ではないタレントが作り上げてしまった。
北野ブルー確立!
ストーリーは単純ながら、すこぶる美しい。
切なく美しい話が淡々と進んでゆく。
映画って省略に美学があると思ってます。
その省略されたシーンがなくても、前後の流れや連想させるカットの挿入により、その省略の間に何が起こったかを想像できてしまうのです。
まさに映画の醍醐味!
しかし北野武のその価値観は異常なほどで…
見せ方として、企みを露骨に感じてしまうんです。
極端にいうと、普通の監督なら絶対に撮るであろうシーンを省略してその結果を示し、ただ想像だけを鑑賞者に委ねるのです。
それでもストーリーが明解なのは北野武の才能に唸らざるをえない。
桑田佳祐の『稲村ジェーン』を酷評した反動がこうなったのかもしれない。
勝者は明らかだが、僕はどこか腑に落ちない。
映画に関しては北野武の方がアーティストだった。
ただそれだけのこと。
久石譲とのコラボはここがはじまりです。
正直まだ完全にはシンクロしきれてない感じはしますが、これが後の作品に繋がることを考えるとそれだけで感動を覚えます。
映画にアートな感性を求める者。
映画にエンターテイメントな活力を求める者。
賛否両論受け止めてください。
日本映画としての価値を求めて-
★★
おもひでぽろぽろ
1991年7月20日公開 監督:高畑勲
まずジブリという観点から語らせてください。
『耳をすませば』を筆頭に、『海が聞こえる』やら『おもひでぽろぽろ』やら、ジブリに神が舞い降りたかのような純度の高い青春描写が続いた時期がありました。
宮崎駿のジブリにはない新風が、それでいてジブリとして確立された風が吹いている感覚です。
さりげない日常が繋がってそれがしっかりとしたドラマとなる。
結婚が気になる年頃なんですよね。
仮に本人が気にしなくても周りから騒がれる。
たぶん心の鏡には映されてるんですよ。
自分の理想とする恋が。
もっと具体的に言えば理想とする人が。
それを見ようとするかしないか。
好きな人といる時ってずっと一緒にいたいと思ったりだとか、自分の中で信号は出てるんですよね。
けど鏡を見るのが怖いから、出ている答えを見ようとしない。
気付いても気付かないふりをするんです。
あるいは認めようとしないんです。
恋も算数も同じですね。
結果だけ求めて本質を見ようとしない。
本質を見ようとして混乱すれば答えは解らなくなる。
それを農業に例える男もいる。
そんな男の温かさに触れて、心も気持ちも癒されて。
結果二人が結ばれたとしても、別々の道を歩んだとしてもその思い出に愛が芽生えた事実は心に刻まれるはず。
★★☆
AKIRA
1988年7月16日 監督:大友克洋
僕がこの映画を初めて鑑賞したのは大学生の時だった。
その当時は『マトリックス』がブームとなり、『マトリックス』を作るにあたって『AKIRA』がヒントとなったとされていたのが鑑賞のきっかけだったと思う。
大学時代の友人に『AKIRA』という作品を観たいと言われ、思い出したのは中学時代の親友だった。
中学時代の友達に「アキラ」という男の子がいたのだ。
「あっくん」の愛称で親しまれる悪戯好きだったけど可愛らしい容姿で憎めない存在だった。
中学時代では一番の仲良しだったかもしれない。
一緒にいる時間も長かったので僕の中で「アキラ」といえば「あっくん」だった。
そういうイメージの先入観ってけっこうあるものだと思っていたが、この『AKIRA』は一見しただけで「あっくん」のイメージを吹っ飛ばした。
その吹き飛ばすインパクトが物凄い。
更にこれがまた、高校時代の一番の仲良しは「テツオ」君だったんだよなあ。
どれだけおれの青春をくすぐるんだ。
しかし「くすぐる」なんて表現はこの作品には似合わない。
これは刺激が強すぎる。
まず映像だ。オープニングから風格が漂いまくっている。
もともと大友克洋という漫画家は絵で見せる漫画家だった。
漫画の描写から簡単に映像クリエイターとしての才能を見出せる人物なんてそうはいないのではないか。
ストーリーにバランスを欠いたという意見もあるようだ。
原作ファンならそうなのだろう。
しかしこのアクション映画に徹底した圧倒的なパワーこそ、日本をアニメーション王国の地位に君臨させている源ではないだろうか。
なあテツオ、振り返ったら1番楽しかった時期をお前と過ごしたよ。
また2人でとびっきりのマシンガンをぶっ放そうぜ!!w
★★★
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
1988年3月12日公開 監督:富野由悠季
「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標をもってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に呑み込まれて行くから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」
増えすぎた人口に環境汚染の続く地球。
人々は宇宙生活を余儀なくされる。
それは地球にしがみつく連邦政府と宇宙移民の対立を生むことになり、地球の危機を察した宇宙移民はこのまま地球が汚染されていくのを見過ごすわけにはいかず、ジオン公国を名乗り地球を守るという大儀を下に独立戦争を挑むのだった。
そう、これが宇宙戦争の始まり-
この戦いに勝利したのは地球連邦。
しかしジオンの公言通り地球の汚染、砂漠化は進み、心に十字架を背負ってでも地球が悲鳴を上げるのを誰かが止めねばと、ついにあの男が立ち上がった。
総帥となったシャアは地球にしがみつく者を廃除し、更に地球を一時的に人の住めない惑星にしてしまい自然を取り戻す作戦に出る。
連邦軍はロンド・ベル隊を中心にシャアの作戦の阻止を目論むが後手に回り、厳しい状況に追い込まれていく。
そんな中、一年戦争の英雄アムロ・レイは最強のモビルスーツの開発に着手していた。
永遠のライバルが最後の対決に挑む!
「結局…、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって、地球を押し潰すのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて、自然に対し、地球に対して、贖罪しなければならん。」
「分かってるよ! だから世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ!」
政治と個人的感情がララァと共に交差して、それが人の心の温もりに包まれる-
★★★★☆
ゆきゆきて、神軍
1987年8月1日 監督:原一男 キャスト:奥崎謙三
これは日本男児たるもの観ておかねばなりません。監督は原一男。企画は今村昌平。
ドキュメンタリー映画としては最もセンセーショナルで、心に重くのしかかる作品です。
一見イカレてますが、紛れも無く信念を貫く姿です。
リアルだとか脚色だとかそんなことはどうでもいい。
奥崎謙三が伝えたかったことを感じ取るだけでいい。
語るよりとにかく観て感じろ!
それから語れ!
そんな作品です。
誰も語れなかった戦争の実態がここにあります。
正義と悪の見極めを法に基づいてしかできない我々には想像し難い闘いです。
もちろんこの作品以外にも、語られない闇事実は存在するはずです。
我々がそれを直視して受け入れることは世界平和という名においてすごく重要なことだと思います。
★★★
天空の城ラピュタ
1986年8月2日公開 監督:宮崎駿
ジブリの女性キャラって本当に魅力的だなぁなんて思っていたら、ちょっと待った!と言わんばかりに元気漲る魅力的な少年が現れた。
その名もパズー!
「君が空から降りてきた時ドキドキしたんだ。きっと素敵なことが始まったんだって」
この台詞が全て。
男の子は女の子を守るもの!
その単純な形式をピュアに見せてくれる。
そう、パズーは男の子、シータは女の子なんです。
当たり前のこと言ってますが正真正銘なんです。
単純明快に心に訴える、真っ直ぐな気持ちになれるファンタジー。
きっと僕らにはいつまでも子供の心がある。
だからラピュタはいつ何度観ても素晴らしい。
悪役がとことん悪いです。
こうなりゃ反則技でルフィになってぶっ飛ばしてもらいたいですw
飛行石が空の彼方へ消えていったとしても、それよりも大切な、何よりの宝が戻ってくるはず。
ドーラ一家にも幸あれ!!
★★★★☆
Wの悲劇
1984年12月15日公開 監督:澤井信一郎 キャスト:薬師丸ひろ子、世良公則
東野圭吾の『レイクサイド』の解説に『レイクサイド・マーダーケース』で美菜子役に薬師丸が選ばれた理由が書かれている。
「私、お祖父さまを刺し殺してしまった」
そう、それこそが『Wの悲劇』。
劇中の演劇を演出した、世界のニナガワがこりゃダメだと思った薬師丸の舞台演技が、しっかりしたものに仕上がったのは、物語と完全にシンクロナイズしている。
そんな薬師丸ひろ子、当時20歳です。
明らかにアイドルです。
そんなアイドルの前に立ちはだかるは三田佳子。まさにホンモノの女優の大熱演。
「浮かんだり沈んだり。私は絶対に沈まない!」
「女優!女優!女優!勝つか負けるかよ!」
女優魂を燃え上がらせる名台詞のオンパレード。
現実世界と舞台のストーリーがシンクロしていく…
悲劇を重ね、一人前の女優として自立していくヒロインまで薬師丸本人とシンクロしてしまったのか。
本作は間違いなく薬師丸ひろ子をアイドルから役者へ変貌させた。
ラストシーンも印象的。
彼女の選択、何よりその時見せた彼女の姿に、角川映画の本領を見た。
それは見事に大役を果たし、開放されアイドルに戻った薬師丸ひろ子の姿-
★★★
草迷宮
1983年11月12日公開 監督:寺山修司 キャスト:三上博史
三上博史(幼い!)を主演に撮った寺山修司監督の超幻想的作品。
私が生まれた1979年にオムニバスとしてパリで上映されたらしく、
日本では1983年に追悼特集として初めて上映されたようです。
僕が観るには難解すぎて正直言葉になりません。
寺山修司に思うのは必ず母を描きます。
そこに描かれる愛はいつも歪んでます。
そして性に関する行為を恐ろしく捉えます。
ぶっちゃけ言ってしまうと「SEX=恐怖」くらいな印象です。
少年という立場で見れば確かにそうかもしれません。
大人から見た神秘は子供にとっては恐怖なのかもしれません。
寺山修司の奇才たる所以はそれを色として表現してしまうこと。
だから観る側としては感性が問われる。
問われる前に根本的に合わないかもしれない。
だからこそ寺山修司の才能に憧れる。
万人への理解なんてものは求めちゃいない。
限られた者への狙い撃ち。
一言で。シンクロナイズド映像!
★★
遠雷
1981年10月24日公開 監督:根岸吉太郎 キャスト:永島敏行、石田えり
『遠雷』は当時の風潮を表しているのか、農業と都市化、地域の活性化がテーマとして見えます。
そしてトマト栽培で畑を耕しながら、女も耕す(笑)
農業男に永島敏行がよく似合う。
永島敏行と石田えりの濡れ場、特に石田えりのヌードが衝撃的でした。
昭和のヒロイン=脱ぐ
勝手ながらこれ、僕の中の揺るがないイメージ。
そんなわけで石田えりですよ。
彼女のエロスはダイナミック!
エレガンスなエロスでは物足りない。
ダイナミックなエロスにこそ、刺激されるのだ。
その肉感的なエネルギー、そこから溢れ出るワイルドさに
ノックアウトされてしまった男は私だけではないはず。
各方面から評判の高い作品ですが、石田えりなしにこの映画は成立しないと思うくらいです。
「はっきり言って私、あんたで5人目よ」
この台詞に稲妻が走りました。
そこから彼女の腰つきにリアリティーすら感じてしまったのです。
それはただただ自慰行為的に彼女に入り込んでしまっただけなのか、それとも彼女の天性の演技力からなのかは分かりません。
そのどちらもが僕に降りかかってきたのかもしれません。
淡々と描かれる物語はいかにもドキュメンタリーに事件が起こっているような感覚です。
ジョニー大倉のダメ男、ハマり役ですね。
★★★
陽炎座
1981年8月21日公開 監督:鈴木清純 キャスト:松田優作、大楠道代
昭和の美学。
違った。大正の美学だ。
陽炎…
あえて「ようえん」と読みたくなる。
そう、妖艶なんだ。
性欲が掻き立てられる。
しかしそんなことはどうでもよくなるくらい、ただただ心が美に包まれる。
劇作家がひとりの女性と出会い、また出会い(?)、
幻想と現実の狭間にゆれる。
アクション俳優・松田優作の心境地!
女性の不思議な魅力に引き込まれると、そこには妄想が生じる。
そこに謎が広がると気になって仕方がない。
泉鏡花原作。
イメージは美。
鈴木清順監督。
やはりイメージは美。
難解すぎて観るに堪えない。
しかしそこから放たれる絶美は頭の中で夢を作る。
命懸けの愛には罠が潜む。
『ツィゴイネルワイゼン』の成功は清順を更なる飛躍へ。
その美学はここに集約される。
『夢二』も含み、清純の大正浪漫三部作と言われる。
取り付かれてしまえばもう病み付きだ。
現実は愛の妄想に勝てるのか?
「一生覚めなければ、夢は夢でなくなるのに」
夢の手紙を信じる。
それはすなわち…
ダメだ!
引き込まれた!!
恐怖も込み上げてきた..
そしてそれはあまりにも美しすぎて…
★★★★
ツィゴイネルワイゼン
1980年4月1日公開 監督:鈴木清順 キャスト:原田芳雄、大谷直子
奇才・鈴木清順監督の代表作のひとつ。
この映画を語るにあたって…
まず自分にこの映画を言葉に出来る表現力があるだろうか。
感情が複雑に入り込みすぎて思いを言葉にするのが難しい。
いやたぶん、根本的にこの映画は難解なのだ。
とにかく不気味だ。
しかし女の妖艶な美しさは観衆をもその闇の世界へ誘い込む。
そこにはエロスと恐怖が同居する。
入り込んでしまえば、もう後戻りはできない。
この胸の高鳴りにも欲望と恐怖が同居している。
死んだはずの者が生きている?
娘にはふたりの母?
これは現実?それとも空想?
生死のように交差する。
大谷直子の超絶な美しさ。
大楠道代の舌使いの美技。
死人の魂が彷徨い続ける?
襲い来る妄想は真実の追求へ。
サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』が魂を燃え上がらせる。
欲しかったのだ、この音が!!
おれは理解できているのか?
届け!!
そこには謎やら不思議やら超越する何かが…
★★★★☆
ルパン三世 カリオストロの城
1979年12月15日公開 監督:宮崎駿
「奴はとんでもないものを盗んでいきました」
ルパン三世という美学。
宮崎駿が築き上げた金字塔。
キネマ旬報オールタイムベスト・テン・アニメーション部門第1位!
それは時を経て、なおその輝きを増してゆく。
「どっちにつく?」
即答「おんなぁ」
ヒロインの名はクラリス。
宮崎駿の描くヒロイン像は魅力的で気品に溢れてる。
もちろんクラリスも例外ではない。
むしろ後のジブリ作品の原形ともとれるような魅力的なお姫様だ。
盗むのはお宝だけじゃない!
泥棒を信じろ!
すなわち自由を手に入れろ!
運命は血筋に支配されてしまうのか?
少女の夢を託された天才泥棒に課されるは過去へのリベンジ。
カリオストロ城の秘密は…
とっつぁんの正義感を燃え上がらせる!
そう、その答えは…
「あなたの心です」
★★★★☆
太陽を盗んだ男
1979年10月6日公開 監督:長谷川和彦 キャスト:沢田研二、菅原文太
全くもって共感もできないし憧れもしない。
それでもなぜか…
素敵だ!
こういう人間がいてもいいんじゃない?
いや、いたら困るんだけど(笑)
何と言うか、こういうのを「マジ」っていうんじゃないか!?
イカレすぎてる。
そして信じられないエンディング…
そう、これは映画として信じ難いエンディングなのだ。
しかもそこに何かを見せるわけでもなく、何かを残すわけでも委ねるわけでもない。
こんな映画があってもいいの?
勝者なき闘いの中に英雄は消えてゆく…。
この映画を観れば時代なんて関係ないと思える。
まさに新風。
今観ても斬新。
沢田研二と菅原文太。
闘いの時は訪れる…
これは夢ではない。
肥大しすぎた欲望だ。
★★★★
もっとしなやかに もっとしたたかに
1979年4月28日公開 監督:藤田敏八 キャスト:森下愛子、奥田瑛二
時は1979年-
青春とエロスが社会を席巻しつつあった。
そこに時代を先取る映画があった。
【青春の始まりの少女】と【青春も終わりかけた青年】の微妙な関係。
エロチックに笑いを取り入れた展開はこれから訪れる不純な時代を見透かしていたかのようで。
これぞ日活映画。
ATGばかり目がいっていた僕ですが、時にはやはり日活のエロスが恋しくなる。
こちらのエロにユーモアがある。
青春映画のそれはAVでは味わえないもの。
そして森下愛子は女神。
彼女がそこにいることで男の欲望を飲み込んでしまう、正真正銘の永遠のアイドル女優。
しかししかし、ただただ笑いながらエロスと青春を楽しんでいたら…
突然訪れる衝撃!
映画って心に激震を起こす魔力がある。
たいしたシーンではないかもしれない。
けど全く予測できない。
それだけで身震いするよなシーンと化す。
ただただ森下愛子の魅力に浸っていたら映画を観ていたことに気付かされた。
いや、でも…
これぞ天変地異!
こんな衝撃的なシーンは初めて観たかも・・
★★★
鬼畜
1978年10月7日公開 監督:野村芳太郎 キャスト:岩下志麻、緒方拳
親が子を捨てた時、子は親を捨てた。
大人の醜い争い。
子供に罪はない。
冒頭からエンジン全開!
最低の争いは70年代風な迫真の演技で緊縛の大バトルに。
親に怯える子を描く作品だと思っていたら、いつしか子に怯える親という図式に変わってた。
これは全てを察した子供の復讐劇?
それともこれは罪を犯した男の恐怖心?
物事のケジメもつけられない嘘つき男が周囲をすべて不幸に追い込んでゆく。
「鬼畜」
それはいつしかこの男にこそ相応しい言葉になっていた。
あの美しい夕日に向かって…
★★★★
サード
1978年3月25日公開 監督:東陽一 キャスト:永島敏行、吉田次昭
東陽一が寺山修司の脚本で一躍成功を収めた名作。
永島敏行の素人くさい演技は逆に新鮮さを植え付け、そこから醸し出されるオーラは後の活躍を予感させるものだった。
更に森下愛子が本作で一躍脚光を浴びる。
そして僕は…
スクリーンに映る彼女に恋をした。
男なら皆そうじゃないかな?
そしてそれを見越したかのように映画は現実を語りかけてくるのだ。
濃密なセックスは声だけでご堪能ください。
この手法は後にエヴァンゲリオンでも使われてたな。
キネマ旬法やブルーリボン賞で最優秀作品賞に輝いた本作は、寺山修司のムードを絶妙に残しつつも、東陽一らしいさわやかな世界を作り出すことに成功した秀逸の作品。
スクイズされて三塁ランナーがホームを踏もうとしているのに一塁に投げなければならないサードというポジションのやり切れない感覚をふと思った。
守っているベースを相手ランナーが通り抜ければそこにはホームベースが。
そういうポジションなんだな、サードって。
あ、この作品、あまり野球は関係ありません。
しかしサードである意味は色濃くあった気がします。
ホームベースのないランナーだっているんです。
ベースのないランナーはただひたすら走り続けるしかないのです。
★★★
八つ墓村
1977年10月29日公開 監督:野村芳太郎 キャスト:萩原健一、小川真由美
1938年に岡山県で実際に発生した津山事件を題材に繰り広げられる凄惨な殺人事件-
落ち武者8人を惨殺した村人に襲いかかる400年の時を超えた祟り-
落ち武者のシーンや、村人32人の惨殺シーンはあまりの残虐さに目を覆いたくなりますが、その復讐劇の真相そのものにもゾッと背筋を凍らせるパワーがあると思います。
落ち武者の最期の言葉が頭から離れません。
「祟って、祟って…」
ゾクゾクゾク(寒)
「祟りじゃー!!」
実はこの作品は松竹映画で、野村芳太郎はじめ、『砂の器』スタッフを集結させて全力を注ぎ切った大作です。
角川の市川監督のスマートな作風と比べると、本当にドロドロした映像が繰り広げられ、圧倒的な恐怖と迫力を実感できます。
『砂の器』同様、TVドラマっぽい展開なのは映画ファンとしては気になりますが、
もはやそれは野村芳太郎の持ち味であると言わざるを得ません。
日本式サスペンスに日本式恐怖を併せて味わえる。
山村の因習や祟りなどの要素を含んだこの作品のスタイルは、後世のミステリー作品にも大きな影響を与えているのは明らかでしょう。
なお、本作の「祟りじゃー」の台詞は、流行語として、巷のあらゆるケースで用いられたそうです。
また、金田一耕助が脇役的視点から事件を解決するというのは、金田一シリーズの中でも異色の作品といえるでしょう。
よって金田一が渥美清である違和感も大して感じないのではないかと思います。
自分にとっては初めて観た金田一映画で、実はそれだけで特別な作品です。
★★★☆
獄門島
1977年8月27日公開 監督:市川崑 キャスト:石坂浩二、大原麗子
「鶯の 身を逆さまに 初音かな」
「無残やな 兜の下の きりぎりす」
「ひとつやに 遊女も寝たり 萩と月」
横溝正史作品の映像化は数多くある。
もちろんどれも素晴らしいと思うが、やはり市川崑は別格。
その象徴が石坂浩二。
彼の表情、彼の瞳から訴えてくる特殊な感情。
映画的という言葉があるとしたら市川作品のカメラワークは明らかに映画的で、知的な美しさをセンスとして感じさせる。
残虐ながらも美しい、芸術的な死体。
アート。
ちなみに「ようし、分かった!」でお馴染みの加藤武が等々力警部役での登場はこの作品からです。
その存在感とキャラの濃さには圧倒されますが、
何よりも大原麗子と坂口良子のあまりの可愛さに魅入らされました。
しかしどうにも作りが雑に感じてしまった・・
原作は最高傑作との呼び声も高い名作でこれだけの好材料が揃っていながら、制作期間の短さがそのまま出てしまったような…
残念でなりません。
それでも毎度のこと、死体の美しさには唸らされるばかりで。
圧倒的な映像センス、素敵すぎです。
★★
津軽じょんがら節
1973年12月20日公開 監督:斎藤耕一 キャスト:江波杏子、織田あきら
「あんた、故郷ができたね。」
荒々しい日本海の風景と津軽三味線の音色が切なく胸に突き刺さる。
男にとって女とは-
自分を救ってくれる女と、自分を頼ってくれる女。
男は成長し、一人前になればなるほどに・・・
東京は故郷にはなりにくい。
しかしこれからは生まれも育ちも東京となる人が多くなることだろう。
精神的な故郷を持たない人間というのは、どこか強い孤独感があるのではないだろうか。
そして孤独の中で自らを輝かせる女たちは化粧からオシャレからレベルが違う。
その美貌が東北では異様なまでに際立つ。
そんな化粧からファッションから東京に染まった彼女が故郷に受け入れられない現実を思い知る。
BGMは波の音。
日本海が広がってゆく。
津軽三味線が切なく響く。
二人の女に揺れる徹男の想いは男の本質が見えるもので、恋する乙女たちにはぜひとも感じてほしいものだ。
★★★★
書を捨てよ町へ出よう
1971年4月24日公開 監督:寺山修司 キャスト:佐々木英明、斎藤正治
人力飛行機の夢・・・
世界はどこまでも広がっていると信じて
今の世界からどこか遠くへ
自分の力で飛びたい。
飛んで行きたい!
抑え切れない衝動で激しく揺れる。
気が狂いそうだ。
無駄にエネルギーばかりが押し寄せてくる。
そう、この作品にははっきりとしたストーリーがない。
人々の狂気や衝動と、新宿という街の活気がこの映画を突き進めている。
しかし
「町は開かれた書物である、書くべき余白が無限にある」
そこで我々は生き、未来を創造する。
だから未来を想像できる。
もしも町に巨大なぺ○スが現れたら・・
実はそんなユーモアこそが我々を自由へ駆り出させるのかもしれない。
サンドバックを滅多打ち!
女子校生は服を脱ぎ捨てろ!
サッカー部員はボールに群がり汗をかけ!
町は欲望で溢れている。
この世界では自由が手に入る。
しかしそんな悪意に満ちた町には天罰が下る。
そして物語が崩れ落ちる・・・
★★★★
七色に変化するカメレオンのように、ブログで様々な色を出していこうという意気込みでブログを続けるカメレオンブロガー2754です。
もう10年以上も前になってしまうのですが、
実は私、20代の頃は映画が大好きで、映画館、レンタル含め毎日のように映画を観ては
SNSで映画日記をアップするというような作業を繰り返していました。
コロナウイルスの感染拡大により大都市圏を中心に自粛要請も出ておりますし、
こういう機に映画を・・という情熱を蘇らせようと考えました。
そんなわけでものすごい数のストックがあるので比較的短くまとまった日記を多少の文章校正等を施し、
まとめてブログにしようと思います。
こういうの記録に残して見返すのも面白いですね。。。
今回は2000年より前に公開された邦画の作品を集めています。
それほどネタバレしていないので面白そう!と思ったら観てほしいです。
(当時、TSUTAYAの回し者と言われてましたw)
PERFECT BLUE
1998年2月28日公開 監督:今敏
浸食されてしまった。
制御不能に陥ってしまった。
降り注ぐ雨。
木霊する悲鳴。
渦巻く悪意。
迫りくる恐怖。
アイドルから女優への転身-
悪夢のような日々の始まり。
ただ感じるしかできなかった。
理解しようとすると脳がシャッフルした。
もう一度、あなたに・・・
会いたい・・・
★★★
リング
1998年1月31日公開 監督:中田秀夫 キャスト:松嶋菜々子、真田広之
怖い!
すんげー怖かった!
しかも怖さをひきずってしまう。
こりゃ呪いだ。
この『リング』の圧倒的なパワーの前には同時上映の『らせん』は単なるおまけのようにしか思えない。
監督は知る人ぞ知る『女優霊』の中田秀夫。
原作はミステリーテイストが強いようだが、純粋に怖い映画を作ることに集中したかのようにワンシーンに賭ける意気込みがハンパない。
「呪いのビデオ」という現実に都市伝説として存在していそうな題材を女子高生たちが語っているのがたまらなくたリアル。
そして映像から全体的に感じられるノイズ感のようなものが心理的に恐怖を訴えかけてくる。
なんじゃこりゃ!?と最初は何気に観ていたビデオ映像にいつしか…
ヒィーーーッ!!!
歪む歪む。
写真のように歪む。
来る~♪きっと来る~♪
ザキヤマさん顔負けの「来る~」にはもうグゥの音も出ねーよ。
あの衝撃の名シーンについてはここではあえて語らない。
むしろその後の母の決断こそがこの恐怖の集約なのかもしれない。
★★★★
もののけ姫
1997年7月12日 監督:宮崎駿
宮崎駿最高傑作の呼び声も高い大作アニメーション。
これはまさに転機。
宮崎駿の視線が世界に広がった時、そこに見たのは日本の神々へのオマージュだったのではないだろうか。
そして『千と千尋の神隠し』は生まれた。
いや、その前に産み落とされたこの『もののけ姫』にはより巨大な、溢れんばかりの神のオーラを感じるのだ。
なぜ本作が一方で最高傑作と祭り上げられ、また一方では世紀の大駄作と罵られるのか。
それだけ影響力が大きすぎるのだ。
我々はアシタカとサンの関係に、対立する人と自然を共存へ向かわせる光を見たのだ。
時を同じくテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』もまた、一大ブームを巻き起こした。
そこでは共存をも超え、同化が求められていた。
しかしその膨大過ぎるテーマは最終回をまとめ切れず、その莫大な問題定義を押し付けられたファンからやはり賛否両論の集中砲火を受けた。
これは大傑作か大駄作か。
少なくとも私には『もののけ姫』のそれは『エヴァ』のそれに比べ肯定的に感じた。
映画にはどこかテーマがあり、そのテーマに対する問題定義がある。
そのテーマに共鳴するかしないかは個人差があるだろう。
しかしそのテーマの壮大さは大作か否かの測りにはなり得るのではないだろうか。
そして『もののけ姫』はその壮大なテーマに対して答えをはっきり示しているのだ。
だからこそ、宮崎駿はウケる。
エボシは悪として見るべきか?
そうでなければ悪とは何なのか?
もののけ姫は鬼神の如く!
アシタカ、あんたはかっこよすぎるよ。
★★★
幻の光
1995年12月9日 監督:是枝裕和 キャスト:江角マキコ、浅野忠信
この映画は光そのもの。
光は吸収され、開放される。
夫婦の関係が淡々と描かれていて、なんだか温かい。
ただテーマが見えない。
生死の境界?
死を前にした感情?
とにかくストーリーも人間描写も感じ取るしかない。
何気に流れる時間の中で生と死を訴えかけてくる。
僕の生きる活力は何だろう?
あまり高らかには言えないのだが、
自分の人生は自分の手で終わらせたい
なんて考えている僕がいる。
もしかしたら明日自殺してしまう可能性だってゼロではないのではないか?
悲しんでくれる人はいるだろう。
泣いてくれる人はいるだろう。
しかし僕にはこの世界が虚像ではないかと疑っていた少年時代がある。
僕は試されている。
他人のふりをして皆僕を見てる。
監視してる。
というより僕の思いや気持ち、行動、ふとした反応を見て皆で笑い話にしてる。
そんなことを考えていることももちろんつつぬけだ。
これは僕の幻の光。
ただ僕は思い出した。
あの頃の感覚を。
映画の力は偉大だ。
★★★
GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
1995年11月18日公開 監督:押井守
未来型アクションの完成形。
これはハマる。
気に入ってハマるというか、ハマらされて気に入る。
夢が現実ならどれだけ素晴らしいだろう。
理想が記憶に埋め込まれ、現実として認識されれば人間は幸せなのだろうか?
人形使い…
謎めきすぎてねーか?
すぐ裸体を曝す女…
実写化してくれー!!
と思ったら…
腕が弾け飛んだ。
えぐっ(>_<)
これ実写化はやめてくれー!!
「戦後の地球を支配するのは女だと思っている。」
これは機動戦士Zガンダムのパプティマス・シロッコの台詞で、
よく分からなくてもなぜかそこに思想の深さを感じさせられたもので。
時代は女を強くする。
いや、女を求めてる。
取り込んでるのか?
組み込んでるのか?
コピーでは個性や多様性が生じない。
この話、コンピュータと命が同化している。
ゴーストとは?
これが掴めなければ本質も…
ダメだ。素子が食い尽くされる。
それが理解の限界。
モニターが死んだ。
これ宿命?
「ネットは広大だわ」
彼女の口から発せられることでそれはとてつもない名言になってしまった。
★★★
午後の遺言状
1995年6月3日公開 監督:新藤兼人 キャスト:杉村春子、乙羽信子
生には限りがあり、死は無限。
道端に咲いている花を見ると綺麗に思う。
いつかは自分もこの美しい自然の一部に-
老いながらもどこかパワフル。
ピストルを向ける強盗に正面から担架を切る。
その情景がまた滑稽で滑稽で。
幸福に老いていくことなんて困難な時代かもしれない。
でもそこにただ枯れていく人生なんて…
僕はおばあちゃんに最大の敬意を払い、何かしら恩返しをしたい。
もし父や母が、無理心中を遂げるようなことがあったとしても、2人が笑顔であることを僕は願う。
死の影響力はすごいもので。
仲たがいしていた2人がいたとしても、身近な人間の死に遭遇することで、そこでは思いが共鳴し合うのだ。
死はただ哀しみを残すだけではない。
もう長くはないかもしれない残された人生を前向きに生きよう。
僕は願う。
死の影響力はすごいもので。
仲たがいしていた2人がいたとしても、身近な人間の死に遭遇することで、そこでは思いが共鳴し合うのだ。
死はただ哀しみを残すだけではない。
もう長くはないかもしれない残された人生を前向きに生きよう。
★★★
ソナチネ
1993年6月5日公開 監督:北野武 キャスト:ビートたけし、国舞亜矢
人の死は決して美しいものではない。
しかし死を恐れぬ者たちの死にはなぜか美学のようなものを感じてしまう。
そこにきてあの風景、あの音楽。
ヤクザを描きたがる映画監督は多い。
ヤクザの美学は筋が通ってるから魅力的なのだと思う。
だから殺すも死ぬも納得がいってしまう。
生と死の間に揺れる。
銃声の余韻は死の余韻…
狂気も静寂も、時に折り込まれるユーモアも全て、一発の銃弾に飲み込まれる。
まずヤクザを知れ。
そして命を知れ。
そして『ソナチネ』を観よ。
一度目より二度目、二度目より三度目。
観る度に膨張して押し寄せてくる重圧感。
この男を理解し知った時、氷の銃弾がおれの心を打ち抜いた。
★★★★
あの夏、いちばん静かな海
1991年10月19日公開 監督:北野武 キャスト:真木蔵人、大島弘子
映画ファンが求め続けた映画を、監督が本業ではないタレントが作り上げてしまった。
北野ブルー確立!
ストーリーは単純ながら、すこぶる美しい。
切なく美しい話が淡々と進んでゆく。
映画って省略に美学があると思ってます。
その省略されたシーンがなくても、前後の流れや連想させるカットの挿入により、その省略の間に何が起こったかを想像できてしまうのです。
まさに映画の醍醐味!
しかし北野武のその価値観は異常なほどで…
見せ方として、企みを露骨に感じてしまうんです。
極端にいうと、普通の監督なら絶対に撮るであろうシーンを省略してその結果を示し、ただ想像だけを鑑賞者に委ねるのです。
それでもストーリーが明解なのは北野武の才能に唸らざるをえない。
桑田佳祐の『稲村ジェーン』を酷評した反動がこうなったのかもしれない。
勝者は明らかだが、僕はどこか腑に落ちない。
映画に関しては北野武の方がアーティストだった。
ただそれだけのこと。
久石譲とのコラボはここがはじまりです。
正直まだ完全にはシンクロしきれてない感じはしますが、これが後の作品に繋がることを考えるとそれだけで感動を覚えます。
映画にアートな感性を求める者。
映画にエンターテイメントな活力を求める者。
賛否両論受け止めてください。
日本映画としての価値を求めて-
★★
おもひでぽろぽろ
1991年7月20日公開 監督:高畑勲
まずジブリという観点から語らせてください。
『耳をすませば』を筆頭に、『海が聞こえる』やら『おもひでぽろぽろ』やら、ジブリに神が舞い降りたかのような純度の高い青春描写が続いた時期がありました。
宮崎駿のジブリにはない新風が、それでいてジブリとして確立された風が吹いている感覚です。
さりげない日常が繋がってそれがしっかりとしたドラマとなる。
結婚が気になる年頃なんですよね。
仮に本人が気にしなくても周りから騒がれる。
たぶん心の鏡には映されてるんですよ。
自分の理想とする恋が。
もっと具体的に言えば理想とする人が。
それを見ようとするかしないか。
好きな人といる時ってずっと一緒にいたいと思ったりだとか、自分の中で信号は出てるんですよね。
けど鏡を見るのが怖いから、出ている答えを見ようとしない。
気付いても気付かないふりをするんです。
あるいは認めようとしないんです。
恋も算数も同じですね。
結果だけ求めて本質を見ようとしない。
本質を見ようとして混乱すれば答えは解らなくなる。
それを農業に例える男もいる。
そんな男の温かさに触れて、心も気持ちも癒されて。
結果二人が結ばれたとしても、別々の道を歩んだとしてもその思い出に愛が芽生えた事実は心に刻まれるはず。
★★☆
AKIRA
1988年7月16日 監督:大友克洋
僕がこの映画を初めて鑑賞したのは大学生の時だった。
その当時は『マトリックス』がブームとなり、『マトリックス』を作るにあたって『AKIRA』がヒントとなったとされていたのが鑑賞のきっかけだったと思う。
大学時代の友人に『AKIRA』という作品を観たいと言われ、思い出したのは中学時代の親友だった。
中学時代の友達に「アキラ」という男の子がいたのだ。
「あっくん」の愛称で親しまれる悪戯好きだったけど可愛らしい容姿で憎めない存在だった。
中学時代では一番の仲良しだったかもしれない。
一緒にいる時間も長かったので僕の中で「アキラ」といえば「あっくん」だった。
そういうイメージの先入観ってけっこうあるものだと思っていたが、この『AKIRA』は一見しただけで「あっくん」のイメージを吹っ飛ばした。
その吹き飛ばすインパクトが物凄い。
更にこれがまた、高校時代の一番の仲良しは「テツオ」君だったんだよなあ。
どれだけおれの青春をくすぐるんだ。
しかし「くすぐる」なんて表現はこの作品には似合わない。
これは刺激が強すぎる。
まず映像だ。オープニングから風格が漂いまくっている。
もともと大友克洋という漫画家は絵で見せる漫画家だった。
漫画の描写から簡単に映像クリエイターとしての才能を見出せる人物なんてそうはいないのではないか。
ストーリーにバランスを欠いたという意見もあるようだ。
原作ファンならそうなのだろう。
しかしこのアクション映画に徹底した圧倒的なパワーこそ、日本をアニメーション王国の地位に君臨させている源ではないだろうか。
なあテツオ、振り返ったら1番楽しかった時期をお前と過ごしたよ。
また2人でとびっきりのマシンガンをぶっ放そうぜ!!w
★★★
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
1988年3月12日公開 監督:富野由悠季
「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標をもってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に呑み込まれて行くから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」
増えすぎた人口に環境汚染の続く地球。
人々は宇宙生活を余儀なくされる。
それは地球にしがみつく連邦政府と宇宙移民の対立を生むことになり、地球の危機を察した宇宙移民はこのまま地球が汚染されていくのを見過ごすわけにはいかず、ジオン公国を名乗り地球を守るという大儀を下に独立戦争を挑むのだった。
そう、これが宇宙戦争の始まり-
この戦いに勝利したのは地球連邦。
しかしジオンの公言通り地球の汚染、砂漠化は進み、心に十字架を背負ってでも地球が悲鳴を上げるのを誰かが止めねばと、ついにあの男が立ち上がった。
総帥となったシャアは地球にしがみつく者を廃除し、更に地球を一時的に人の住めない惑星にしてしまい自然を取り戻す作戦に出る。
連邦軍はロンド・ベル隊を中心にシャアの作戦の阻止を目論むが後手に回り、厳しい状況に追い込まれていく。
そんな中、一年戦争の英雄アムロ・レイは最強のモビルスーツの開発に着手していた。
永遠のライバルが最後の対決に挑む!
「結局…、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって、地球を押し潰すのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて、自然に対し、地球に対して、贖罪しなければならん。」
「分かってるよ! だから世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ!」
政治と個人的感情がララァと共に交差して、それが人の心の温もりに包まれる-
★★★★☆
ゆきゆきて、神軍
1987年8月1日 監督:原一男 キャスト:奥崎謙三
これは日本男児たるもの観ておかねばなりません。監督は原一男。企画は今村昌平。
ドキュメンタリー映画としては最もセンセーショナルで、心に重くのしかかる作品です。
一見イカレてますが、紛れも無く信念を貫く姿です。
リアルだとか脚色だとかそんなことはどうでもいい。
奥崎謙三が伝えたかったことを感じ取るだけでいい。
語るよりとにかく観て感じろ!
それから語れ!
そんな作品です。
誰も語れなかった戦争の実態がここにあります。
正義と悪の見極めを法に基づいてしかできない我々には想像し難い闘いです。
もちろんこの作品以外にも、語られない闇事実は存在するはずです。
我々がそれを直視して受け入れることは世界平和という名においてすごく重要なことだと思います。
★★★
天空の城ラピュタ
1986年8月2日公開 監督:宮崎駿
ジブリの女性キャラって本当に魅力的だなぁなんて思っていたら、ちょっと待った!と言わんばかりに元気漲る魅力的な少年が現れた。
その名もパズー!
「君が空から降りてきた時ドキドキしたんだ。きっと素敵なことが始まったんだって」
この台詞が全て。
男の子は女の子を守るもの!
その単純な形式をピュアに見せてくれる。
そう、パズーは男の子、シータは女の子なんです。
当たり前のこと言ってますが正真正銘なんです。
単純明快に心に訴える、真っ直ぐな気持ちになれるファンタジー。
きっと僕らにはいつまでも子供の心がある。
だからラピュタはいつ何度観ても素晴らしい。
悪役がとことん悪いです。
こうなりゃ反則技でルフィになってぶっ飛ばしてもらいたいですw
飛行石が空の彼方へ消えていったとしても、それよりも大切な、何よりの宝が戻ってくるはず。
ドーラ一家にも幸あれ!!
★★★★☆
Wの悲劇
1984年12月15日公開 監督:澤井信一郎 キャスト:薬師丸ひろ子、世良公則
東野圭吾の『レイクサイド』の解説に『レイクサイド・マーダーケース』で美菜子役に薬師丸が選ばれた理由が書かれている。
「私、お祖父さまを刺し殺してしまった」
そう、それこそが『Wの悲劇』。
劇中の演劇を演出した、世界のニナガワがこりゃダメだと思った薬師丸の舞台演技が、しっかりしたものに仕上がったのは、物語と完全にシンクロナイズしている。
そんな薬師丸ひろ子、当時20歳です。
明らかにアイドルです。
そんなアイドルの前に立ちはだかるは三田佳子。まさにホンモノの女優の大熱演。
「浮かんだり沈んだり。私は絶対に沈まない!」
「女優!女優!女優!勝つか負けるかよ!」
女優魂を燃え上がらせる名台詞のオンパレード。
現実世界と舞台のストーリーがシンクロしていく…
悲劇を重ね、一人前の女優として自立していくヒロインまで薬師丸本人とシンクロしてしまったのか。
本作は間違いなく薬師丸ひろ子をアイドルから役者へ変貌させた。
ラストシーンも印象的。
彼女の選択、何よりその時見せた彼女の姿に、角川映画の本領を見た。
それは見事に大役を果たし、開放されアイドルに戻った薬師丸ひろ子の姿-
★★★
草迷宮
1983年11月12日公開 監督:寺山修司 キャスト:三上博史
三上博史(幼い!)を主演に撮った寺山修司監督の超幻想的作品。
私が生まれた1979年にオムニバスとしてパリで上映されたらしく、
日本では1983年に追悼特集として初めて上映されたようです。
僕が観るには難解すぎて正直言葉になりません。
寺山修司に思うのは必ず母を描きます。
そこに描かれる愛はいつも歪んでます。
そして性に関する行為を恐ろしく捉えます。
ぶっちゃけ言ってしまうと「SEX=恐怖」くらいな印象です。
少年という立場で見れば確かにそうかもしれません。
大人から見た神秘は子供にとっては恐怖なのかもしれません。
寺山修司の奇才たる所以はそれを色として表現してしまうこと。
だから観る側としては感性が問われる。
問われる前に根本的に合わないかもしれない。
だからこそ寺山修司の才能に憧れる。
万人への理解なんてものは求めちゃいない。
限られた者への狙い撃ち。
一言で。シンクロナイズド映像!
★★
遠雷
1981年10月24日公開 監督:根岸吉太郎 キャスト:永島敏行、石田えり
『遠雷』は当時の風潮を表しているのか、農業と都市化、地域の活性化がテーマとして見えます。
そしてトマト栽培で畑を耕しながら、女も耕す(笑)
農業男に永島敏行がよく似合う。
永島敏行と石田えりの濡れ場、特に石田えりのヌードが衝撃的でした。
昭和のヒロイン=脱ぐ
勝手ながらこれ、僕の中の揺るがないイメージ。
そんなわけで石田えりですよ。
彼女のエロスはダイナミック!
エレガンスなエロスでは物足りない。
ダイナミックなエロスにこそ、刺激されるのだ。
その肉感的なエネルギー、そこから溢れ出るワイルドさに
ノックアウトされてしまった男は私だけではないはず。
各方面から評判の高い作品ですが、石田えりなしにこの映画は成立しないと思うくらいです。
「はっきり言って私、あんたで5人目よ」
この台詞に稲妻が走りました。
そこから彼女の腰つきにリアリティーすら感じてしまったのです。
それはただただ自慰行為的に彼女に入り込んでしまっただけなのか、それとも彼女の天性の演技力からなのかは分かりません。
そのどちらもが僕に降りかかってきたのかもしれません。
淡々と描かれる物語はいかにもドキュメンタリーに事件が起こっているような感覚です。
ジョニー大倉のダメ男、ハマり役ですね。
★★★
陽炎座
1981年8月21日公開 監督:鈴木清純 キャスト:松田優作、大楠道代
昭和の美学。
違った。大正の美学だ。
陽炎…
あえて「ようえん」と読みたくなる。
そう、妖艶なんだ。
性欲が掻き立てられる。
しかしそんなことはどうでもよくなるくらい、ただただ心が美に包まれる。
劇作家がひとりの女性と出会い、また出会い(?)、
幻想と現実の狭間にゆれる。
アクション俳優・松田優作の心境地!
女性の不思議な魅力に引き込まれると、そこには妄想が生じる。
そこに謎が広がると気になって仕方がない。
泉鏡花原作。
イメージは美。
鈴木清順監督。
やはりイメージは美。
難解すぎて観るに堪えない。
しかしそこから放たれる絶美は頭の中で夢を作る。
命懸けの愛には罠が潜む。
『ツィゴイネルワイゼン』の成功は清順を更なる飛躍へ。
その美学はここに集約される。
『夢二』も含み、清純の大正浪漫三部作と言われる。
取り付かれてしまえばもう病み付きだ。
現実は愛の妄想に勝てるのか?
「一生覚めなければ、夢は夢でなくなるのに」
夢の手紙を信じる。
それはすなわち…
ダメだ!
引き込まれた!!
恐怖も込み上げてきた..
そしてそれはあまりにも美しすぎて…
★★★★
ツィゴイネルワイゼン
1980年4月1日公開 監督:鈴木清順 キャスト:原田芳雄、大谷直子
奇才・鈴木清順監督の代表作のひとつ。
この映画を語るにあたって…
まず自分にこの映画を言葉に出来る表現力があるだろうか。
感情が複雑に入り込みすぎて思いを言葉にするのが難しい。
いやたぶん、根本的にこの映画は難解なのだ。
とにかく不気味だ。
しかし女の妖艶な美しさは観衆をもその闇の世界へ誘い込む。
そこにはエロスと恐怖が同居する。
入り込んでしまえば、もう後戻りはできない。
この胸の高鳴りにも欲望と恐怖が同居している。
死んだはずの者が生きている?
娘にはふたりの母?
これは現実?それとも空想?
生死のように交差する。
大谷直子の超絶な美しさ。
大楠道代の舌使いの美技。
死人の魂が彷徨い続ける?
襲い来る妄想は真実の追求へ。
サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』が魂を燃え上がらせる。
欲しかったのだ、この音が!!
おれは理解できているのか?
届け!!
そこには謎やら不思議やら超越する何かが…
★★★★☆
ルパン三世 カリオストロの城
1979年12月15日公開 監督:宮崎駿
「奴はとんでもないものを盗んでいきました」
ルパン三世という美学。
宮崎駿が築き上げた金字塔。
キネマ旬報オールタイムベスト・テン・アニメーション部門第1位!
それは時を経て、なおその輝きを増してゆく。
「どっちにつく?」
即答「おんなぁ」
ヒロインの名はクラリス。
宮崎駿の描くヒロイン像は魅力的で気品に溢れてる。
もちろんクラリスも例外ではない。
むしろ後のジブリ作品の原形ともとれるような魅力的なお姫様だ。
盗むのはお宝だけじゃない!
泥棒を信じろ!
すなわち自由を手に入れろ!
運命は血筋に支配されてしまうのか?
少女の夢を託された天才泥棒に課されるは過去へのリベンジ。
カリオストロ城の秘密は…
とっつぁんの正義感を燃え上がらせる!
そう、その答えは…
「あなたの心です」
★★★★☆
太陽を盗んだ男
1979年10月6日公開 監督:長谷川和彦 キャスト:沢田研二、菅原文太
全くもって共感もできないし憧れもしない。
それでもなぜか…
素敵だ!
こういう人間がいてもいいんじゃない?
いや、いたら困るんだけど(笑)
何と言うか、こういうのを「マジ」っていうんじゃないか!?
イカレすぎてる。
そして信じられないエンディング…
そう、これは映画として信じ難いエンディングなのだ。
しかもそこに何かを見せるわけでもなく、何かを残すわけでも委ねるわけでもない。
こんな映画があってもいいの?
勝者なき闘いの中に英雄は消えてゆく…。
この映画を観れば時代なんて関係ないと思える。
まさに新風。
今観ても斬新。
沢田研二と菅原文太。
闘いの時は訪れる…
これは夢ではない。
肥大しすぎた欲望だ。
★★★★
もっとしなやかに もっとしたたかに
1979年4月28日公開 監督:藤田敏八 キャスト:森下愛子、奥田瑛二
時は1979年-
青春とエロスが社会を席巻しつつあった。
そこに時代を先取る映画があった。
【青春の始まりの少女】と【青春も終わりかけた青年】の微妙な関係。
エロチックに笑いを取り入れた展開はこれから訪れる不純な時代を見透かしていたかのようで。
これぞ日活映画。
ATGばかり目がいっていた僕ですが、時にはやはり日活のエロスが恋しくなる。
こちらのエロにユーモアがある。
青春映画のそれはAVでは味わえないもの。
そして森下愛子は女神。
彼女がそこにいることで男の欲望を飲み込んでしまう、正真正銘の永遠のアイドル女優。
しかししかし、ただただ笑いながらエロスと青春を楽しんでいたら…
突然訪れる衝撃!
映画って心に激震を起こす魔力がある。
たいしたシーンではないかもしれない。
けど全く予測できない。
それだけで身震いするよなシーンと化す。
ただただ森下愛子の魅力に浸っていたら映画を観ていたことに気付かされた。
いや、でも…
これぞ天変地異!
こんな衝撃的なシーンは初めて観たかも・・
★★★
鬼畜
1978年10月7日公開 監督:野村芳太郎 キャスト:岩下志麻、緒方拳
親が子を捨てた時、子は親を捨てた。
大人の醜い争い。
子供に罪はない。
冒頭からエンジン全開!
最低の争いは70年代風な迫真の演技で緊縛の大バトルに。
親に怯える子を描く作品だと思っていたら、いつしか子に怯える親という図式に変わってた。
これは全てを察した子供の復讐劇?
それともこれは罪を犯した男の恐怖心?
物事のケジメもつけられない嘘つき男が周囲をすべて不幸に追い込んでゆく。
「鬼畜」
それはいつしかこの男にこそ相応しい言葉になっていた。
あの美しい夕日に向かって…
★★★★
サード
1978年3月25日公開 監督:東陽一 キャスト:永島敏行、吉田次昭
東陽一が寺山修司の脚本で一躍成功を収めた名作。
永島敏行の素人くさい演技は逆に新鮮さを植え付け、そこから醸し出されるオーラは後の活躍を予感させるものだった。
更に森下愛子が本作で一躍脚光を浴びる。
そして僕は…
スクリーンに映る彼女に恋をした。
男なら皆そうじゃないかな?
そしてそれを見越したかのように映画は現実を語りかけてくるのだ。
濃密なセックスは声だけでご堪能ください。
この手法は後にエヴァンゲリオンでも使われてたな。
キネマ旬法やブルーリボン賞で最優秀作品賞に輝いた本作は、寺山修司のムードを絶妙に残しつつも、東陽一らしいさわやかな世界を作り出すことに成功した秀逸の作品。
スクイズされて三塁ランナーがホームを踏もうとしているのに一塁に投げなければならないサードというポジションのやり切れない感覚をふと思った。
守っているベースを相手ランナーが通り抜ければそこにはホームベースが。
そういうポジションなんだな、サードって。
あ、この作品、あまり野球は関係ありません。
しかしサードである意味は色濃くあった気がします。
ホームベースのないランナーだっているんです。
ベースのないランナーはただひたすら走り続けるしかないのです。
★★★
八つ墓村
1977年10月29日公開 監督:野村芳太郎 キャスト:萩原健一、小川真由美
1938年に岡山県で実際に発生した津山事件を題材に繰り広げられる凄惨な殺人事件-
落ち武者8人を惨殺した村人に襲いかかる400年の時を超えた祟り-
落ち武者のシーンや、村人32人の惨殺シーンはあまりの残虐さに目を覆いたくなりますが、その復讐劇の真相そのものにもゾッと背筋を凍らせるパワーがあると思います。
落ち武者の最期の言葉が頭から離れません。
「祟って、祟って…」
ゾクゾクゾク(寒)
「祟りじゃー!!」
実はこの作品は松竹映画で、野村芳太郎はじめ、『砂の器』スタッフを集結させて全力を注ぎ切った大作です。
角川の市川監督のスマートな作風と比べると、本当にドロドロした映像が繰り広げられ、圧倒的な恐怖と迫力を実感できます。
『砂の器』同様、TVドラマっぽい展開なのは映画ファンとしては気になりますが、
もはやそれは野村芳太郎の持ち味であると言わざるを得ません。
日本式サスペンスに日本式恐怖を併せて味わえる。
山村の因習や祟りなどの要素を含んだこの作品のスタイルは、後世のミステリー作品にも大きな影響を与えているのは明らかでしょう。
なお、本作の「祟りじゃー」の台詞は、流行語として、巷のあらゆるケースで用いられたそうです。
また、金田一耕助が脇役的視点から事件を解決するというのは、金田一シリーズの中でも異色の作品といえるでしょう。
よって金田一が渥美清である違和感も大して感じないのではないかと思います。
自分にとっては初めて観た金田一映画で、実はそれだけで特別な作品です。
★★★☆
獄門島
1977年8月27日公開 監督:市川崑 キャスト:石坂浩二、大原麗子
「鶯の 身を逆さまに 初音かな」
「無残やな 兜の下の きりぎりす」
「ひとつやに 遊女も寝たり 萩と月」
横溝正史作品の映像化は数多くある。
もちろんどれも素晴らしいと思うが、やはり市川崑は別格。
その象徴が石坂浩二。
彼の表情、彼の瞳から訴えてくる特殊な感情。
映画的という言葉があるとしたら市川作品のカメラワークは明らかに映画的で、知的な美しさをセンスとして感じさせる。
残虐ながらも美しい、芸術的な死体。
アート。
ちなみに「ようし、分かった!」でお馴染みの加藤武が等々力警部役での登場はこの作品からです。
その存在感とキャラの濃さには圧倒されますが、
何よりも大原麗子と坂口良子のあまりの可愛さに魅入らされました。
しかしどうにも作りが雑に感じてしまった・・
原作は最高傑作との呼び声も高い名作でこれだけの好材料が揃っていながら、制作期間の短さがそのまま出てしまったような…
残念でなりません。
それでも毎度のこと、死体の美しさには唸らされるばかりで。
圧倒的な映像センス、素敵すぎです。
★★
津軽じょんがら節
1973年12月20日公開 監督:斎藤耕一 キャスト:江波杏子、織田あきら
「あんた、故郷ができたね。」
荒々しい日本海の風景と津軽三味線の音色が切なく胸に突き刺さる。
男にとって女とは-
自分を救ってくれる女と、自分を頼ってくれる女。
男は成長し、一人前になればなるほどに・・・
東京は故郷にはなりにくい。
しかしこれからは生まれも育ちも東京となる人が多くなることだろう。
精神的な故郷を持たない人間というのは、どこか強い孤独感があるのではないだろうか。
そして孤独の中で自らを輝かせる女たちは化粧からオシャレからレベルが違う。
その美貌が東北では異様なまでに際立つ。
そんな化粧からファッションから東京に染まった彼女が故郷に受け入れられない現実を思い知る。
BGMは波の音。
日本海が広がってゆく。
津軽三味線が切なく響く。
二人の女に揺れる徹男の想いは男の本質が見えるもので、恋する乙女たちにはぜひとも感じてほしいものだ。
★★★★
書を捨てよ町へ出よう
1971年4月24日公開 監督:寺山修司 キャスト:佐々木英明、斎藤正治
人力飛行機の夢・・・
世界はどこまでも広がっていると信じて
今の世界からどこか遠くへ
自分の力で飛びたい。
飛んで行きたい!
抑え切れない衝動で激しく揺れる。
気が狂いそうだ。
無駄にエネルギーばかりが押し寄せてくる。
そう、この作品にははっきりとしたストーリーがない。
人々の狂気や衝動と、新宿という街の活気がこの映画を突き進めている。
しかし
「町は開かれた書物である、書くべき余白が無限にある」
そこで我々は生き、未来を創造する。
だから未来を想像できる。
もしも町に巨大なぺ○スが現れたら・・
実はそんなユーモアこそが我々を自由へ駆り出させるのかもしれない。
サンドバックを滅多打ち!
女子校生は服を脱ぎ捨てろ!
サッカー部員はボールに群がり汗をかけ!
町は欲望で溢れている。
この世界では自由が手に入る。
しかしそんな悪意に満ちた町には天罰が下る。
そして物語が崩れ落ちる・・・
★★★★